戦況が悪化する1943年、学生に対する徴兵猶予が停止され、東京六大学野球が中止に追い込まれる。学業なかばに徴兵されてゆく若者たちに最後の思い出をと、慶應義塾塾長・小泉信三は、早稲田大学野球部顧問・飛田穂州に早慶戦を申し込む。この申し出は、両大学の学生たちに大きな希望をもたらすが…。